司馬遼太郎の「竜馬がゆく」の話なので、話半分に聞いてください。
「竜馬がゆく」の中に、元治元年6月の「池田屋ノ変」の直後、坂本竜馬と勝海舟が、加賀藩の蒸気船に乗って品川から神戸に向かおうとしたところ、竜馬が機
関を酷使してて壊してしまい、下田で幕船翔鶴丸に乗り換えた、という話があります。このとき、怒った加賀藩士たちが竜馬に詰め寄ると、竜馬は悠然と素っ裸
になって褌で体の煤をぬぐい、その迫力に気圧された加賀藩士たちは黙ってしまったというのです。
もしこれが事実に基づいた話であれば、この加賀藩の蒸気船は、藩が文久2年に購入した発機丸ということになり、乗り組みの加賀藩士たちは竜馬と勝に会った
ことになり、さらに、この時越中射水郡高木村出身の北本半兵衛が、二人の指揮を受けたことになるはずです。
もっとも、この話は、当時各藩で西洋式の軍艦を購入することが流行していたことについて、「そんなものが役に立つものか」と皮肉るために、司馬が挿入した
エピソードです。この場面での勝のセリフも、「加賀百万石といっても汽船ひとつ動かせないというのが日本の現状だ…軍艦ひとつあやつれない人間が、攘夷々
々と駆けまわったところで、どうなるもんでもないよ」と、なかなか手厳しいもので、当時加賀藩が発機丸に掛けていた期待の大きさを考えると、ちょっと気の
毒になってきます。
ともあれ、この話は司馬の創作に過ぎないのかも知れませんが、この時期に発機丸が江戸や大坂を行き来していたのは事実なので、司馬が何を根拠にこの話を書
いたのか、大いに興味のあるところ。誰かご存知の方がおられたらぜひ教えてください。
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